はて、昨夜呑んだジャック・ジンジャーが悪いのか。
おととい呑んだ泡盛のお湯割りが悪いのか。
そんなことを考えていたら、かぜをひいていた。
視界も、頭の中も、体の感覚もぼんやりとしている。
これはこれで心地よいのだが、私の頭の中にある、現実は時計だとかメールだとかの姿をとって私を刺してくる。
いつまでも、こんな宙に浮かんだような感覚で生きていければよいのだが、と思いつつ、そのあほらしさも分かっている。
ぼんやりと生きていくことは悪くない。
だが、そこに何かしらの「芯」が無ければ、ただの脳みその無い「モノ」に成ってしまうに違いない。
そのとおりだが、それでもやはり普段の生活から逃げたいと思ってしまうときはあるのだ。
この足取りの危なさに任せて、人様に迷惑をかけてしまおうかと思うことも多い。
思うだけで済んでいるのは、きっとそうした人たちの笑顔が頭から離れないからだろう。
誰の笑顔も思い出せなくなったなら、そして朝日を美しいと思わなくなったら、それはもはや私に価値がないということなのだろう。
だとしたら、今のぼんやりとした日々も、ぐだぐだと続く私自身も、そして辛い日々も、感謝のうちに受け入れるべきなのだろう。
おととい呑んだ泡盛のお湯割りが悪いのか。
そんなことを考えていたら、かぜをひいていた。
視界も、頭の中も、体の感覚もぼんやりとしている。
これはこれで心地よいのだが、私の頭の中にある、現実は時計だとかメールだとかの姿をとって私を刺してくる。
いつまでも、こんな宙に浮かんだような感覚で生きていければよいのだが、と思いつつ、そのあほらしさも分かっている。
ぼんやりと生きていくことは悪くない。
だが、そこに何かしらの「芯」が無ければ、ただの脳みその無い「モノ」に成ってしまうに違いない。
そのとおりだが、それでもやはり普段の生活から逃げたいと思ってしまうときはあるのだ。
この足取りの危なさに任せて、人様に迷惑をかけてしまおうかと思うことも多い。
思うだけで済んでいるのは、きっとそうした人たちの笑顔が頭から離れないからだろう。
誰の笑顔も思い出せなくなったなら、そして朝日を美しいと思わなくなったら、それはもはや私に価値がないということなのだろう。
だとしたら、今のぼんやりとした日々も、ぐだぐだと続く私自身も、そして辛い日々も、感謝のうちに受け入れるべきなのだろう。
