―AΛΩ― Well's Will'd
"Biggest Blunder"の居場所をソコに。

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


Date : --.--.-- -- --:--  スポンサー広告| コメント(-)|トラックバック(-)
カミュ『異邦人』を読んで
本というものは、実のところ一度読んだ限りで全てを掴める物ではないと思う。
なぜなら、そこに書かれている文章は同一であっても、それを読む側が全く違ってしまっているからだ。

だが、だからといって全ての本をもう一度読み返したい、いや、改めて「読みたい」と思うわけではない。私の場合、カミュ、ヘミングウェイなどは何度も読み返すが、それ以外のものを読み返そうとはあまり思わなかったりする(資料とかは無論別だが)。

そして、今日久しぶりに「異邦人」を読み返した。
本当に短い本で、だからこそ小学生の私にも読みやすかったのだろう。あの頃この本と出会い、「老人と海」とであった事が私に本を読む楽しさを教えてくれたと思っている。

読むたびに、私は新しい側面を発見する。
最初、私にとって主人公のムルソーはとても冷静で、イメージとしてはガンダムWに出てきたトレーズのような頭脳明晰なタイプだと思っていた。なぜそう考えたのか。おそらくはムルソーの淡々とした考え、いや、そうした文体から受けた印象だったのだろう。

一方、あるときの私はこの物語に人が人を裁くという事柄についての猜疑心を読み取った。
それはつまり、母の死に涙しない男は死刑に処するべき、というような議論が成り立つのなら、全ての人間が死刑に処せられるべきだ、というような幼稚な考えであった。

また、あるとき私はこの本の中で無感動な、無気力な若者のイメージを見て取った。それはもちろん、そのときの私だった。私は彼が、ムルソーが不条理で横暴な運命に身を委ねたのだと思った。それと同時に、彼のその決断は半ば子どもじみた苛立ちと、諦めのようなものに支えられていると考えた。

今、またこの本を読み返した私は、これまでに私が思ったことを思い出した。
そして、最後の数ページを声に出して読んでみた。
そうして私が得た答えは、今はよく分からない。

きっと、またいつかこの本を読み返したときに、今さっき私が感じていた事柄を思い出すだろう。そのときにはただ一片の思考であり、他の物と見分けがつかなかったとしても、年月がたてば私はそれを他の物と見分けて判別することが出来るようになるだろうと思う。



スポンサーサイト
Date : 2008.08.13 Wed 00:58  壱毎| コメント(-)|トラックバック(-)
 

  

 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。